お知らせ

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讃岐うどんの歴史について

こんにちは!
大阪の東三国にある「讃岐うどん つる凛」です。
HPをご覧くださり、ありがとうございます。


大阪で、香川県の本場讃岐うどんをご提供する店として
たくさんのお客様からこれまでご愛顧いただいてまいりました!
こだわりの出汁と、手間をかけて製造した麵の食感と風味を
ぜひご堪能ください!


讃岐では昔から各家庭でうどんを打つ風習があり
いわば、うどんは日常的に食べられてきたローカルフード。


冠婚葬祭の場にもうどんが登場するなど
讃岐の人々の生活に最も密着した食べ物となりました。
今では各家庭でうどんを打つことこそ少なくなったものの
毎日うどんを食べる人も少なくありません。


香川県(讃岐)には、弘法大師空海が唐の国から
うどん作りに適した小麦の栽培方法と製麺技術を伝えたという説があります。


ただ、その頃の麺は、団子をつぶしたような形で
現在のようなうどんになったのは
後のことではないかと推察されています。


1688年〜1704年に描かれた屏風絵
「金比羅祭礼図(こんぴらさいれいず)」の中には
3軒のうどん屋が描かれており
元禄時代(およそ300年前)の頃と伝えられています。


この屏風絵は、うどんに関わる讃岐最古の資料で
香川がうどんの先進地帯の一つであったことを示しています。



讃岐は温暖で雨が少なく、良質な土壌などが小麦作りに適しており
讃岐で収穫される小麦は「三県麦」と称されるほど
全国的に高い評価を受けていました。


加えて、当時瀬戸内海地方では塩田による塩づくりが盛んで
兵庫の赤穂と並ぶ良質な塩の産地でもありました。


その他にも、うどんつゆの素材となる小豆島の醤油
伊吹島のイリコ等、品質のよい材料が調達しやすかったため
うどん作りが盛んになり、広まっていったとされています。



当店では、そんな讃岐うどんのおいしさを
テイクアウト、宅配でも対応が可能です。
ぜひご賞味ください!



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